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盛岡家庭裁判所 昭和40年(家)739号 審判 1967年4月12日

申立人 山田ハナエ(仮名)

相手方 山田公雄(仮名) 外六名

主文

一、本籍岩手郡○○町大字○○第三八地割字○○一二九番地、亡山田留吉の遺産を次のとおり分割する。

(一)  別紙相続財産目録記載の不動産のうち(1)ないし(3)、(16)の各不動産は、相手方山田公雄の所有とする。

(二)  別紙相続財産目録記載の不動産のうち(4)ないし(15)、(17)ないし(21)の各不動産は、相手方山田孝の所有とする。

(三)  相手方山田孝は、相手方岸野正道、同渡辺泰、同太田ヤスエ、同坂田ハル、同山田テルに対し、各金二八万五、七六六円を、申立人山田ハナエに対し、金四九万二、七五四円を支払え。

(四)  相手方山田公雄は、申立人山田ハナエに対し、金五〇万七、四三四円を支払え。

二、本件手続費用中、鑑定費用金一万五、〇〇〇円については申立人山田ハナエが金五、〇〇〇円、その余は相手方らの平等負担とし、その他の費用は、申立人および相手方らの各自負担とする。

理由

第一、(申立の要旨および事件の経過)

申立人は、被相続人山田留吉の遺産分割の審判を求め、その実情として、被相続人は昭和三九年一一月九日死亡し相続が開始したが、その相続人は申立人配偶者と相手方ら被相続人の子である。

しかし、遺産の分割について、共同相続人間に協議が調わないので、その分割を請求するというにある。

当裁判所は、本件を直ちに調停に付し、当庁昭和四〇年(家イ)第二五四号事件として四回にわたり調停を行つたが不調に帰した。そこで遺産の評価額につき鑑定を経たうえ、再度調停(昭和四一年(家イ)第一四二号事件)に付し、七回にわたり鋭意調停による分割を試みたが、相手方山田公雄において他の共同相続人の相続分を無視し、遺産の殆んど全部の取得を強く要求しているので、遂に調停不成立となつた。

第二、(相続人およびその法定相続分)

本件記録中の戸籍謄抄本および当庁調査官の調査の結果によると、被相続人山田留吉は昭和三九年一一月一九日岩手郡○○町大字○○第三八地割字○○一二九番地の自宅で死亡し、その相続人および法定相続分は、次のとおりである。

妻 山田ハナエ 法定相続分 7/21

四男 山田公雄

五男 岸本正道

六男 渡辺泰

七男 山田孝

長女 太田ヤスエ

二女 坂田ハル

三女 山田テル

〃 各 2/21

第三、(相続財産の範囲およびその価格)

本件記録中の不動産登記簿謄本、固定資産評価額通知書当庁調査官の調査結果ならびに申立人、相手方ら各審問の結果と、鑑定人柳渡慶一郎の鑑定によると、相続開始時の相続財産の範囲およびその評価額は、別紙相続財産目録記載のとおりであり、この点につき申立人および相手方ら全員において異論がない。

なお、岩手郡○○町字○○二七一番、畑一反一畝二五歩は登記簿上被相続人山田留吉の所有名義になつているが、被相続人が生前野本直子に売渡し、同人において自己の所有地として耕作しており、すでに昭和三二年四月一二日所有権移転請求権保全の仮登記を経由し、被相続人は同人に対する本登記手続未了のまま死亡したものである。したがつて、右土地は相続の対象とならないことについて相続人間に意見が一致しているので、これを相続財産の範囲から除外した。

さらに、動産類については、金銭的価値のあるものが少いので、相続人らは相続財産よりこれを除外することに意見が一致している。

また、被相続人死亡当時現金が約五万円あつたが、申立人において、これを被相続人の葬儀費用に充て全額支弁しているので現存しない。右は相続財産に関する費用の中に含まれるものと解する。

また、被相続人には相続開始当時、○○町○○農業協同組合に対し、元利合計金六一万三、一七五円の貸付金債務があつたが、右債務は可分債務であるから、相続により、各相続人が相続分に応じて当然分割承継されるべきものである。遺産分割は、相続財産中の積極財産のみを対象とすべきであるから右消極財産たる金銭債務については本件においてこれを考慮しない。

第四、(特別受益および寄与分)

申立人および相手方ら各審問の結果ならびに当庁調査官の調査結果によると、相続人らにおいて被相続人から遺贈を受け、または婚姻、養子縁組のため、もしくは生計の資本として贈与を受けたものはない。

もつとも、相手方山田孝、同山田テルの両名だけは定時制高等学校教育を受け、被相続人より学費等を出費してもらつているが、大学教育を受け、不相応に多額の出資をしてもらつているならともかく、この程度の教育に要した学費は今日民法九〇三条一項所定の「生計の資本として」の贈与とみるべきではないと解する。

また、相手方山田公雄は、昭和三二年一二月六日当庁において妻照子との離婚調停が成立した際、同女に対し慰謝料として金七万円を支払うことになつたが、資力がなかつたため、連帯保証人である被相続人において全額支払つてもらつている。さらに、相手方公雄、同坂田ハル、同渡辺泰、同太田ヤスエ、同岸本正道はそれぞれ婚姻に際し、被相続人より挙式費用等を負担してもらつているが、その金額も高額でないので、いずれも同条にいう贈与として相続分の算定につき斟酌すべきではない。

次に、共同相続人中のあるものが被相続人の財産の維持増加に寄与貢献している場合には、その寄与分を評価してこれを遺産から控除し、その残額につき相続させるのが公平ではあるが、相続人各自の寄与価額を正当に評価することは極めて困難な問題である。特に本件のように遺産の大半が農地であり、それが農家の労働の場であり、生活の拠りどころである場合、家族構成員各自が多少とも家業である農業を手伝い労働力を提供しているのが通常である。

しかし被相続人と家族との間に明瞭な雇傭契約等が存在しなければ、労働力提供の対価として相続財産から賃金等を請求することはできない。

仮りに、相続財産に対し不当利得返還請求権を有すると解しても、長年月にわたり相続人各自の労働力によつて生じた財産の現存価額を適正に評価することは容易でない。

したがつて、かかる契約の存在も認められない本件において、相続財産に対する相続人各自の寄与分を具体的に算定し、これを遺産から控除することはできない。

また、裁判所が寄与分を考慮して法定相続分を任意に変更することは許されないと解する。

第五、(相続分の算定)

相続開始当時における相続財産の価額の総計は、別紙相続財産目録記載のとおり、不動産価額合計金三〇〇万〇、五五〇円である。

これを各相続人の相続分に按分して計算すると、被相続人の妻山田ハナエの相続分は3,000,550円×1/3 = 1,000,183円(以下切捨)となる。また被相続人の子山田公雄、岸本正道、渡辺泰、太田ヤスエ、坂田ハル、山田孝、山田テルの各相続分は3,000,550×2/3×1/7 = 285,766円(以下切捨)

となる。

第六、(各相続人の職業、生活状態および分割についての希望)

申立人および相手方ら審問の結果および当庁調査官の調査結果によると、次のような事情が認められる。

一、山田ハナエ(明治三五年一〇月二八日生)は、大正八年一月二三日被相続人留吉と婿養子婚姻届出をなし、同人とともに農業に従事してきたが留吉死亡後は四男公雄、七男孝、三女テル、孫の勝郎と一緒に本件家屋に居住し留吉の遺産である本件田一町四反二畝六歩、畑五反四畝五歩を事実上管理耕作して供米代金より被相続人の債務を返済するなど生計をたててきた。しかし、四男公雄とは後記事情から常に不和葛藤が絶えないので、死後再び遺産分割の紛争が起るのを怖れて現物取得を希望しない。したがつて、将来公雄とは世帯を別にして七男孝に農業を承継させ、同人の扶養を受けて余生を送りたい考えである。ハナエ名義の不動産は、同人が買受けた岩手郡○○町大字○○第三八地割字○○一二九番の一公簿上宅地五九坪(現況田)があるだけである。

二、山田公雄(昭和五年六月二〇日生)は、四十四田ダム建設工事の臨時雑役夫として働いていたが、現在は失業中である。昭和二六年に白石ハマ子と同棲したが、三ヵ月間位で内縁関係を解消した後、昭和二八年に妻昭子と婚姻し、その間に勝郎を儲けたが、昭和三二年一二月に調停で離婚し長男勝郎の親権者となつたが、同人は事実上母ハナエが養育監護してきた。終戦後、数年間農業に従事したことはあるが、その後両親との折合が悪くなり、炭坑夫として出稼ぎしたり外交員、土工などを転々とし、常に職業が不安定であり、生家で長期間無為徒食に過すことが多かつた。昭和三三年三月被相続人および母ハナエを相手方として、自己を農業承継者として取扱うよう親族関係調整の調停(当庁昭和三三年(家イ)第二三三号事件)を申立てたが、昭和三四年一月二一日調停不成立に終つた。したがつて引続き親兄弟とは意見が合わず家庭内の紛争が絶えなかつた。公雄は、被相続人より生前全遺産を自己が相続し、家業を承継するように言われたとか、昭和三四年一月二一日前記調停期日において、親族立会の下に同趣旨の取り決めがなされたとか申述べ、事実上の長男として(公雄の兄らは幼時に死亡している。)全遺産の取得を強く要望しているが、他の相続人審問の結果および前記調停事件記録などに照らして、そのような被相続人生前の意思ならびに取決めがあつたものとは認められない。

三、岸本正道(昭和七年一〇月一五日生)は、昭和三二年一二月一一日岸本昌子と婚姻し、事実上妻の両親と養親子関係にあり、義父名義の農地約二町歩を耕作し、農業に専従しており、生活は安定しているので、遺産の現物取得を希望しない。

なお、同人は被相続人の生前中、本件農地のうち約四反歩を贈与されることになつていたが、公雄の反対にあい実行されなかつた。

四、渡辺泰(昭和一〇年七月二七日生)は、昭和三二年五月八日渡辺静恵と婚姻し、妻の母と居住し、○○営林署に自動車運転手として勤務し、月収約三万円を取得し実家より飯米の援助を受けて一応生活も安定しているので、本件農地の分割取得を強く希望しない。

五、太田ヤスエ(大正一二年一月五日生)は、昭和一六年六月三〇日太田重吉と婚姻したが、婚家先は田約二町歩、山林三町歩を保有し、専業農家の家族として農業に従事し、生活も安定しているので本件遺産の現物取得を希望していない。

六、坂田ハル(昭和一三年四月五日生)は、昭和三一年三月八日坂田光男と婚姻したが、婚家先は田二町歩、畑八反歩を保有し、専業農家として夫らとともに農業に従事し、生活に心配はないので本件遺産の現物取得を希望しない。

七、山田孝(昭和一六年三月一九日生)は、○○郵便局の集配員として勤務し、月収約二万円を得ているがその余暇に農業を手伝つている。被相続人より生前農業に従事してくれるなら農地を与え、家屋を建築してやると言われて、上京を断念し、兄公雄不在のため被相続人に協力して農業を手伝つてきた。現在、公雄の子勝郎と本件家屋で起居を共にし、母の良き相談相手となつて農協に対する供米の手続等をしている。将来、公雄とは生計を別にし、母および公雄を除く兄姉らの希望どおり家業を承継して母および妹らの面倒をみていく考えである。

八、山田テル(昭和二〇年三月一日生)は、○○デパートの店員として勤務し、月収約一万円を得て農繁期には農業を手伝つているが、近い将来他家に嫁する身であるので、婚姻に際し、実家より相当の支度をしてもらえればよく、本件遺産の現物取得は希望していない。

第七、(分割の方法)

被相続人直蔵の遺産のうちで主要な部分は、田が二カ所に合計一町四反二畝六歩、畑が五反四畝五歩、ほかに居宅とその敷地五六三坪あり、この附近における専業農家の耕作保有面積としては普通であり、いわゆる中農に位するものと考えられる。現在、被相続人の妻ハナエ(年齢六四歳)が農夫を傭い、孝らの援助を受けて主として農業を経営しているが、すでに老齢でもあるので引続き農業に従事することは困難であるし、同人もこれを希望していない。むしろ孝に嫁を迎え、同人に農業を承継させてその扶養を受け、余生を安楽に過すことを望み、公雄を除く他の相続人らもこれを期待している。

しかし、公雄としては、事実上の長男として、本件農地の大部分の取得を要求しているが、前記認定のように、公雄対母および他の相続人間の一〇数年間にわたる不和、葛藤が絶えないため、相互の不信、憎悪の感情は極めて根深い。したがつて、同人が農業の承継者となり、一家の柱となつて、残された母および弟妹らと円満に生活し、その面倒をみていくことは到底期待できない。また、同人の過去の経歴、性格から推して、はたして、今後専業農家として農業に精進する見込があるかどうか疑わしい。しかし、同人の農地取得の意思は堅く、また独立して将来の生活を安定させるためには、この際遺産のうちより農業経営に適する相当面積の農地を分割取得させる方が妥当であると考える。農業用資産以外の財産の存しない本件遺産分割において、農耕能力の乏しい相続人に前記事情から農地が分割され、一時的に当該農地の生産力が低下してもやむを得ない現象である。そのような事態は、分割取得者において他の相続人の協力を得るとか、農夫を雇入れることによつて避けられることである。

次に、公雄および孝を除く他の相続人らは、前記認定のとおり、それぞれ現在の職業、環境、生活状態よりみて、本件農地およびその他の遺産の現物取得を希望していないし、農地等を取得させなければならぬ特段の事情も存しないので、できるだけ農業経営の縮少、農地の細分化を防止するため、これらのものに対しては現物取得に代え、金銭の支払をもつてするのが相当であると考える。

そうすると、相続人中農地を取得する適格者は、公雄と孝の二名となるので、前記事情を総合斟酌し、公雄に対しては、居宅から少し離れているが、次の田四筆を分割取得させることとする。

岩手郡○○町大字○○第四○地割字○○二一審

一、田 二畝三歩

同字二五番

一、田 一反一九歩

同字二六番

一、田 四反九畝一五歩

同字二〇番

一、田 三畝二六歩

以上合計田六反六畝三歩

評価額七九万三、二〇〇円

同人の相続分は前記認定のとおり二八万五、七六六円であるから、その差額五〇万七、四三四円は超過分として他の相続人に支払わなければならない。(債務負担については、自作農維持資金等を借受けこれを支払うことができる。)

次に孝に対しては、母およびその他の相続人らの希望どおり、同町大字○○第三八地割字○○所在の田一二筆合計七反六畝三歩、畑五反四畝五歩と、同人および母、妹らの生活の本拠として宅地建物、その他の山林、原野を全部取得させることとする。しかし右不動産価額は合計二二〇万七、三五〇円であり、同人の相続分は二八万五、七六六円であるので、その差額一九二万一、五八四円は超過分として他の相続人に対し、金銭をもつて支払わねばならない。

もつとも、現在本件建物には母ハナエ、兄公雄、妹テルのほか公雄の子勝郎が居住しているが、両者の不和を避けるため将来は公雄と生計を別にすべきである。しかし、本件建物の経済上、構造上、これを公雄の使用部分と孝ら使用の部分とに独立区分して分割取得させることは不可能であるし、また、両名の共有とすることも前記事情がら望ましくないので、この際、孝の単独所有とし、その間の使用関係は親族間のことでもあるので、分割後協議のうえ期間を限つて、(例えば孝が結婚する時までとする)使用貸借等の契約を締結するのが妥当である。当裁判所は、本件において遺産分割の事後的処分として、かかる権利関係まで両名の間に創設するのは相当でないと解する。

そこで孝は、前記超過分として、岸本正道、渡辺泰、太田ヤスエ、坂田ハル、山田テルに対し、それぞれ二八万五、七六六円を、母ハナエに対し、四九万二、七五四円を、また公雄は母ハナエに対し、前記超過分五〇万七、四三四円をそれぞれ支払わせることにし、円未満の端数計算上生じた五円はハナエに取得させることとしたので、ハナエが両名から支払を受ける金額は、合計一〇〇万〇、一八八円となる。

第八、(結び)

以上のとおり、各相続人に分割取得させることとし、申立費用について、非訟事件手続法二七条、二九条を適用して、主文のとおり審判する。

(家事審判官 土田勇)

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